筋トレ母さんのアメリカ滞在記

筋肉大好きなニ児の母、夫の赴任で子連れアメリカ東海岸生活スタートしました。

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「大きい」は余裕と効率を生む

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アメリカって、国土も人の体格も家も家電もおもちゃも店も公園も食べ物もお菓子もジュースも車も神経も(笑)なにもかも

大きい っていうイメージありますよね。

 

実際、大きいです。で、アメリカ住み始めてすぐに一番実感したのが、この、大きいことの素晴らしさ。でした。

 

私の中には、「大きい」アメリカの憧れはもちろんあるとして、身の丈にあった生活をする(サイズ感も)美しさ、みたいな日本人特有かもしれない価値観が確かにあったのですね。

 

家だって、大きければいいわけではないのでは?だって大きいと掃除大変だし、使ってないスペースとかいっぱいだし、移動大変だし?買い物だって、必要なものを少しずつ買い足していけば無駄がないだろうし、

あと、大きいというのは逆をいうと雑ってことで、食べ物の味付けが雑なのは嫌だよねとか(それは今でも嫌ですが)。

アメリカの「大きい」に関しては、そんな感じの意見を持っていたように思います。つまり、自分の身の丈にあったサイズの家に住んで、自分の身の丈にあったロットで買い物をして、自分の身の丈にあった移動手段で(主に電車)、自分の身の丈にあったサイズ感で生活することが、一番「効率的」だし「コスパもいい」し「美しい」と、どこかで思っていたような気がするんです。身の丈至上主義!笑

 

でも、今まいにち感じているのは、

大きいことは、余裕と効率化を生む。

ということ。

 

 たとえば台所。すごく広くて大きくて開放的なので、みんなで一気に作業ができます。家族4人が一緒に台所にたって、一人は鍋を混ぜて、一人は食材を切って、一人は食器を出して、一人はご飯をよそって、ってことができるんです。

 

母であり妻である私として実感したのは、台所が広くて開放的だと、圧倒的に、料理という家事における「母親がオーナー感」が減って、「みんながオーナー感」が生まれるんです。スペースがあるので、同時に複数の人が入れる。窮屈にならず、広々した状態で一緒に料理ができる。

私があれほど忌み嫌っていた(笑)「家族の意識下で脈々と、台所=妻(母)所有スペース化してしまう案件」が、大きなスペースがあることで、自然ときれいに解消した感じです。あと、これはアメリカの家がすべてそうじゃないけれど、うちは台所としての独立して仕切りなどがないので、孤独じゃないんです。こう、奥に押し入られて俺一人野菜切ってるみたいな惨めな被害者意識に陥らないのw 私料理が苦手だし嫌いだしと思っていたけど、それ以上に、日本の台所のあの構造が嫌いだったのかもって思い始めました。(最近の家は違う構造のものも多いとは思いますが)

もちろん夫婦間や家族間のコミュニケーションとか、声がけによる家事コミットメントへの意識づくりも大事だけれど、単に「開かれたスペースがあるかどうか」。これだけでこんなにも人の行動が変わるんだなーと感動しています。空間デザインが人の暮らしや人生をつくるって、こういうことなんだなー!と。

 

 あと顕著なのは買い物。以前は車を持たない都心での生活だったので、2日に1回ぐらい夫婦で分けてせっせと仕事帰りに駅前で買い物をして帰っていました。今は、土日に車を出して、1週間分一気に食材を買ってしまいます。ローカルのスーパー、韓国系スーパー、costcoなどいくつかハシゴして家族と一緒に買い、車からの家への持ち込みも家族で手分けして一気にやります。これは日本でもやっている方が多いかもしれませんが、私はこちらに来て始めて実践してみて、「すごくいい!」って感動してます。

買い物ってなんだかんだいって、けっこう時間がかかるんですよね。店まで行く、商品をみて選ぶ、レジに並ぶ、家に持ち帰る、冷蔵庫に入れるというフロー。それを一気にやることで時間短縮になるし、大量に買うので単価あたりがかなり安い(とくにcostcoで買った場合)。


家が広いので、かなり大量に物を買ってもストックする空間がある。台所が広いので、収納が下手でも、普段使わないものは地下室などに移動して、必要なものだけを収納するスペースはたっぷりあるので、ゴチャゴチャにならずスッキリと暮らせる。

ここでも発見があって、私は台所をすぐにモノで溢れさせてしまうタイプだったのですが、「しっかりスペースがあって」「ものの置き場を100%決められて」「買い物してきてもあふれた分を収納できる部屋」があれば、こんな私でも、毎日スッキリとした台所を保つことができるんだ!ということ。

要は何が言いたいかというと、私が悪いのではなく、これまではスペースが足りなかっただけ。笑 平均して日本人の3倍ぐらい大雑把なはずの(あくまでイメージ)アメリカ人の台所が片付いてるのって、アレ、単純にスペースが大きいだけっていうのもあると思う。あと、料理しない(ガスコンロ使わない)ってのもあるけど。笑

もういっこ、冷蔵庫も食洗機もすっごいでかいんですよー。食洗機が大きいという素晴らしさは、いくら書いても書き足りない。本当に、調理から食事に使った4人分の食器を、ほぼすべて1回でまるっと洗ってくれる。別で手洗いしたり、余った食器を次の回に持ち越しとかがない。ものの2分で食器洗いステップが終わる。十分スペースがあるから、食器の入れ方に細心の注意を払って…などの必要がないので、子供でも簡単。こんなちょっとしたことが、こんなにもストレスを減らすのか!と感動しました。

 

家の中のスペースが広いと、家族ともいい関係を保ちやすい気がします。ムカつくことがあっても、物理的に距離をとりやすい。笑 しばらく距離をとって、たとえば一人は2階、一人は地下のゲストルームとかにいて別々のことをしているうちに、客観性や冷静さが取り戻しやすい。 家が広いというのは、関係性でも風通りがよくなると気づきました。

というわけで、大きいことで、「取りこぼす」ことがいっぱいあると思っていたけど、そればかりではなく、むしろ、得られることがこんなにあるんだなーと思ってます。

なんだろう。伝わるかわからない比喩をしますが、人生を回すための「輪っか」を大きくすることで、一回こぐだけで、とても長い距離を一気に移動できるような感覚。ストライドが大きくなって、遠くを見渡しやすくなった感覚。

今日本の生活を振り返ってみて、もっともっと「輪っか」が小さかったなーって思うんです。毎日せっせと必死に漕いで、少しずつ前に進んでいく感じ。歩幅が小さい感じ。
自分なりに楽しく意義深く、毎日を生きているつもりだったけど、もっと息が浅かったと思うし、もっと短スパンでしか人生を見ることができなかった、という感覚がある。それは意識をどんなに変えようとしてもあの物理的な環境の中では難しかったのでは?と。

家が大きい、道が大きい、車が大きい、国土が大きい、それだけなんだけど、それが心にスペースをもたらし、また日常のオペレーションの効率化をもたらしてくれているなあと感じている今日この頃です。物理的にスペースあるからこそ生まれる意識の革命って、あるんですね。

 

アメリカについて、「大きい」ことともうひとつ、「(前置きや遠慮や勘ぐりなく)言いたいことだけ言え合えるアメリカ人とのコミュニケーションの楽さ」もすごい感じていて…また今度書きますねー!