筋トレ母さんのアメリカ滞在記

筋肉大好きなニ児の母、夫の赴任で子連れアメリカ東海岸生活スタートしました。

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アメリカ人とのコミュニケーションが楽なわけ

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あわわ。

昨日Facebookで地味にお知らせしたら、いきなりアクセス数上がっててびっくり。ありがとうございます。


私が最初にブログを始めたのは自分の仕事用だったのですが、ここでは自分の中から出てくることをただ自分勝手に書きなぐっていて、表現としてのクオリティとか最下層だと思うけど笑、めっちゃ楽にブログをかけてて楽しいです。

正直、THE普通の日々しか送ってないけど、多分日本にいたら味わえないことはいっぱい味わっていると思うので、備忘録的にもときどき書いていこーーー。

で、とにかくアメリカ生活が楽で。 
楽しい!というのもあるけど、「楽」という表現がすごくピッタリくる。何が楽って、人が楽、人とのコミュニケーションが楽、暮らしが楽、社会の仕組みが楽。

むしろアメリカ来てほんとに大変っていう方の話もよく聞くので、私たちが特殊なのかもしれないけど…。

・お役所仕事関係、人によって全くいうことが違い、スムーズに進むことは全くない
・いろんなものがすぐ壊れる
・修理もスムーズにきたりしない
・コンビニとか気の利いたファミレスとかほとんどない

とかのストレスフルな案件ももちろんあるですよ。でもね、やっぱ楽。いっぱい空気がすえて、人との関わりがもっと自由で楽で健やかで、人生をもっと楽しめる。そういう感覚があります。

日本にいたときも、格段、ストレスフルな人生だとは思ってなかったしw 人とのコミュニケーションも苦手意識はなく、わりと自分を大事にしながら人とコミュニケーションできるタイプだと思っていたんだけど。アレかなーー日本だと「親しい人」と「それ以外」みたいな人だと、共有するコミュニケーション手法が全く違う、みたいな感じないです?極端に言うと、電車の中に乗り合わせた人は、「モブ要因」としてみなすしかない、みたいな。でもこっちだと「ウチ」と「ソト」みたいな感覚があまりないから、ちょっとレジ打ってもらってる間も普通に世間話とかできて、すごい…楽なんです、やっぱり。人と人との関わりが健全な感じ。


あと、とにかくアメリカは、合理的。これがすっごい肌に合う。アメリカ、細かいフォローは苦手だしザルだけど、どんなことでも「仕組み化」がものすごく上手。

たとえば子供のクラス出欠が1コマでも確認できなかった日は自動音声電話が親にかかってくる。「欠席を確認するためにこちらに電話をかけなおしてください」と音声メッセージに言われる。無断欠席とか何かしらの危険事態を予防するための仕組みだなーと感心する一方、

・言われた番号に電話をかける →すでに終業してます、と言われる
・学校のサイトから調べて出欠システム担当にメールする →返事いっこうにない


という感じで、仕組みはつくっても細かいフォローがザル。

ちなみにこの電話は4日ぐらい続けてかかってきたんだけど、その理由は、長男が数学のクラスのレベルがあわずに苦痛だと訴えるのでカウンセラーに相談して別のクラスに変えてもらったところ、その変更が出欠システム担当に共有されておらず、前の数学のクラスに欠席したと認識され、毎日電話がかかってきたというもの。

カウンセラーの先生にメールしてこの電話がかかってきた理由を解説してもらったからよかったけど、毎日学校行ってるはずなのに、毎日欠席したクラスがあると電話かかってきて、返事して弁明する場所もないし、なんかアレでしたわ。笑

と、アメリカのなんでも仕組み化するけどちょっと残念、ていう感じの部分、わかっていただけるかしら…。でもこーいうとこ(仕組み化しようとする合理性)好きなの。


あともういっこ、コミュニケーション。
日本人のコミュニケーションは「聞く側」に重点が置かれて、アメリカ人だと「話す側」に重点が置かれている気がする。

つまり、こっちきて思ったのが、アメリカ人は相手の話にあまり相槌とかうたない。「うんうん、うんうん」とかあんまない。めっちゃ頷いて「聞いてるよっ」て全身で表現したりしない笑。ただじっと聞いている。こう、無慈悲なほど、相手がしっかり話し終わるまで、相手の責任として見届けますよっていう感じのスタンスがある。会話の途中で意思を汲み取って会話を引き取ってくれたりしないし(いや人によってはそういうことしてくれる人もいますが)わからないときは普通に「何いってるか全然わからんけど」「もっかい説明して」って言う。

よくこういうのありません?日本語で会話してるとき。「えーと、うまく言えないけど、私の言いたいことわかります?」「うん、わかるよーー!」て言われてほっとするやりとり。そういうの、ない感じ。「わからん。ごめん。もっと説明して」って言われるだけっていうw

でもそれって、「相手の言ってることがわからない=相手を否定してる、ではまったくない」という前提があるからっていう気がする。あと、話す人にしっかり話す責任と自由があり、それをむやみに聞き手が途中で遮らない。そういうリスペクトも感じる。

 

特に銀行口座とか保険とかのややこしい案件の電話での会話で、最後自分でも何がいいたいかわからなくなって英語グチャグチャになってても、とりあえずこっちがセンテンス終わるまで先方が会話を引き取ってくれないので、むりくり言いたいことを強めに繰り返して主張する。こうやって人は、限られたボキャブラリーでも自己主張するためのスキルを磨いていくんだなと、「アメリカ暮らしで強くなるよー」と先輩たちが言ってくれてる意味がよーくわかる。笑

そーそー、電話でも基本的にこちらが1センテンスすべて言い終わるまで無言で聞いてくれる人が多い気がします。そういうのに慣れてきてしまったので、こないだカスタマーセンターで久しぶりに日本語で電話したとき、相手の話の途中で「はい」とか「ええ」とかまったく言わずに話が終わるまで聞いていたら、「お客様、いらっしゃいますか?」って言われた。

そっか、日本は相槌文化なんだ!コミュニケーションの中で聞き手にかなり重点が置かれる文化で、聞き手が話し手を支える会話の構造なんだーと、なんか発見があった。
それって、話し手には優しいという利点があるけど、話すための力は育ちにくいのかなと思う。

こっち来ると、わからないときはほんとに「ハァ?」顔で聞かれるから、「もうちょっとそっちもわかろうとしてこいや、こちとら第二言語やぞ!」って内心思うけど、そんな苦境でもむりくり相手にわからせるという力技を発動せざるを得なくなる。これは言語の壁がなかったとしても同じなんじゃないかなー。

だまっていても察してくれたりわかってくれることは何一つない。だから自己主張する。シンプルで、楽。


ここ最近ずっと書きたかったことだったんだけど、伝わるかな?引き続きアメリカ人とのコミュニケーションの中で考えながら、いいたいことを言える表現の精度を上げていきたいでーす!