筋トレ母さんのアメリカ滞在記

筋肉大好きなニ児の母、夫の赴任で子連れアメリカ東海岸生活スタートしました。

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「迷惑をかけてないかスイッチ」に気づく

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こんにちは!気づくと深夜になってしまいました。明日は7/4のインディペンデンス・デイ。家のすぐ前でバイクパレードがあるそうなので楽しみです。

 

深夜のため今日はつぶやきだけなのですが、最近すごく、コミュニケーション、言葉、意思表示、そして真に熟成した社会とは何かについて考えます。

 

こちらで住み始めて改めて気づいてびっくりしたのは、「自分が他の人の迷惑になってないか」水面下でアンテナを常に張っている自分という存在でした。

 

例えばスーパーマーケット。こちらのスーパーは通路も広いので問題ないはずなんだけど、大きなカートを押して歩いているだけでも、誰かの邪魔になってないか、迷惑をかけてないかと常に周囲を意識している自分を発見しました。

 

なんかもう癖というか、公の場で何かをするときに、「周囲の迷惑になってないかどうか気にしておくスイッチ」が常時稼働してることに気づいたのです。

 

直接の知り合いの方は口を揃えていうと思いますが、私はそもそも気がきくほうではないし、むしろ生粋の気が利かないタイプだと思います。また、そもそも各方面への配慮とか空気を読むとかもあまりできないし、しないです。

 

それでもなお!アメリカで生活していると、自分の行動がこれまでいかにその「迷惑かどうか」という基準に縛られていたか、ということに気づかされつつあります。

 

例えばスーパーに連れてこられた幼い子供が走って他の人の前に飛び出してきたり、通路をふさぎがちだったりという場面によく遭遇します。

 

東京でがっつり子育てしていた私は、そんな風景を見るだけでザワザワっとして、「子供の後ろをパッと追いかけてさっと子の手を取り、前から来た人にすみません!と迅速に声をかけて謝る」まで一瞬で脳内シミュレーションできてしまいます。

 

ところが、こちらではそんな親の姿は見ません。別に放置しているわけではないけど、のんびりと横にいる感じ。そして他の大人も、「ごめんね、お嬢ちゃんちょっと失礼ー」みたいに言って道を開けてもらって通り過ぎます。親も子供も別に悪びれる様子はないし、親が脱兎のごとく子供の前に飛び出しすみません!と頭を下げるような風景もありません。

 

この雰囲気うまく伝えられてるか疑問なんですが、つまり、親子が公共の場で、「普通におっとりまったり、存在してる」んです。

 

…東京での2人の子育てを通じて、特に子が幼かった時、バスの中、電車の中、スーパーの中、公道の上…どれほど自分がいつも緊張していて、全方向に意識を張りつめて、何か言われないように、ダメな親だと思われなように、何かあったらすぐに走ってすぐに謝っていたか…という記憶がバーっと蘇り(あ、自宅でも階下からの足音の苦情がすごくて張りつめてた時期も) なんだかよくわからない感情に見舞われました。

 

もしかしたら日本で私たちは、「人様に迷惑をかけてはいけない」という行動規範を、異様なほど高い重要度に掲げて暮らして、お互いを無意識下で見張り、お互いを息苦しくしているのではないか。これは、日本を離れないと気づかなかったことのような気がします。

 

そしてなぜアメリカではみなさん比較的のんびりと、過度に周りを気にせずおおらかにやっているかというと、極論ですが「コミュニケーションを恐れてない」からではないかと。

 

例えば上記の例のように、邪魔な人がいたら「すみません、どいて」って普通に言うし、相手は「あらごめんなさい」と返してコミュニケーションが成り立ち、その場で問題解決する。

 

ある意味、人間が普通にふるまってたらそんなに周囲のことばかり気にしてられないし、周囲に「迷惑」がかかる場面も普通に出てくると思うけれど、その時は人間同士が言葉を掛け合えば解決するやん、みたいな。

 

しかし、日本でいると他人との壁がこちらより高く、「知らない人に声をかける」ことを徹底的に避ける傾向があるため、そういう人と人とのふれあいが発生する率を低めるためにも、事前にお互いが配慮しあって迷惑をかけないように(互いに影響し合わないように)しましょう、みたいな。そんな背景があるような気がしてます。

 

びっくりするほどチラシの裏レベルで考察できてないのですが、ひとまず出しておきますね。ここから考えをもっと深めたいです。