筋トレ母さんのアメリカ滞在記

筋肉大好きなニ児の母、夫の赴任で子連れアメリカ東海岸生活スタートしました。

怒りについて。内省の円環で閉じたくない。

お久しぶりです!

久しぶりなのですが、今日は怒りのブログを書きます。なぜなら私は今怒っていて、物心ついてからは初めてそのまま、怒りという感情のままブログというソーシャルメディアに文字を書こうと思うからです。

安倍首相が昨夜ツイートした、星野源の「うちで踊ろう」と、首相自身がソファでお茶や読書してる様子を並べた動画に、しばらく言葉を失いました。最初はよくできたネタ動画かな?と思ったんだけど、何度見ても公式だし。1分程度あると思うんですが最初の10秒で頭がおかしくなりそうになったので無理でした。

翌朝もう一回見直して、しみじみと、これはディストピアかな?って思います。

まず星野源さんのこの企画って、詳しいことはよく知らないけれど、Covid-19による「自粛」の中、個々人への経済的な補償の内容もはっきり見えず未来への不安が募るけれど、家にこもりながらもそれぞれが自分の表現を媒体につながっていこうよ、というクリエーティブなお誘いだったと思うんですね。

私の日本の友人たちも連携してコラボ動画をあげて盛り上がっていたし、それは(あくまで私の解釈ですが)Covid-19という感染症への恐怖はもちろん、政治の無策がかきたてる不安に飲み込まれそうになる毎日に少しでも鮮やかさと明るさを取り戻すための自然発生的な動きで、音楽や踊りや表現というアートの本質的な意味も感じさせてくれるものだと感じていました。それだけに、一国の首相がここに無邪気に乗っかってきたことが、もうありえないぐらい気持ち悪いと感じます。

私は外国から日本のニュースを見ているのでいろんなバイアスがあるのかもしれませんが、これまでの日本の施策を見る限りでは自国の文化を軽視して文化を担う人たちを不安の渦に陥れているにも関わらず、その当の政策執行の責任者である首相が、自分のイメージアップのために「文化」にただ乗りしようとする。そのあさましさに、気持ち悪さを通り越して怒りが込み上げてきました。

しかも、「友達と会えない。飲み会もできない」って?国民が感じている不満や不安って、そんなレベルじゃないですよね。私自身がフリーランスで働いていた身の上なので、今日本で仕事をしていたらどうだっただろうと考えます。外に出れず、仕事ができず、収入が途絶え、しかも収束の見通しもつかないとなれば、自分や家族の将来だけでなく、生活費など毎日の暮らしにおける出費にも一喜一憂しているんじゃないかと思って、でもそうした不安を飲み込んで、「感染しない」「感染させない」ことを通じて自分と他者の命を守るためにできるだけ家にいようとしているんですよね。

日本の国民が(世界中のほとんどの人もそうだけど)いま耐え忍んでいるものは、「友達と会えない。飲み会もできない」という社会的な孤独感だけじゃなくて(この問題も重要だけど)、「働けない、収入がない、明日の請求書が払えない」という、生存に関わる圧倒的な不安かもしれないのに…。

星野源さんの動画に便乗したこのツイート、もしかして首相なりに「若者層」をターゲットにしたメッセージのつもりだったのだろうか。でもそれだとしてもリアルな国民の生活や悩みをあまりに理解してなさすぎて泣けてくる。こんなに庶民の感覚とかけ離れたところにいる人が国のトップなんだなーって。それと、この動画を企画した人も、この動画をそのままGOした人も、いったいどうなってるんだろうって思いました。

アメリカの大統領もかなりやばい人だけど、そんな彼でもさすがに緊急事態宣言が出たあとに、高級ソファで犬を撫でてお茶を飲んでリモコン操作する動画を漫然と1分間に編集して国民に呼びかけるなんてことはしないと思う。アメリカで一番被害の大きいNY州の知事は毎日朝11時台に、そしてホワイトハウスも毎日夕方に会見の場をつくり、感染者数や対策などのアップデートを日々行ってそれがリアルタイムでTVで放映されている。そういうスピード感を持って仕事をしている人たちには、そもそもこんなにも内容のない動画を撮るという発想が生まれようもない気がする。


以上、いろいろ書きましたが、怒りました。そしてこうして怒ったぞ、というのをきちんと書き綴っておこうと思ってブログ画面を開きました。

というのも、これまで私は怒りの感情をあえてそのまま書いたことがほとんどなかったんです。怒りという感情の扱い方に慎重だったし、それを吐露することで、冷静さを失った人、中立性や理性を失った人だと見られることに対する恐れが大きかった(今は中立性ってなんやねんって思いますが)。感情豊かでいたかったけど、アウトプットはいつも冷静な人だと見られたかった。みっともないと思われたくなかった。

頭の中に、いつの間にか育ててしまった自己啓発系キャラがいるんです。で、怒りを表現しようとするとそのキャラが現れて、「怒ってばかりいても何も解決しないよ」「人を批判する前に今できることをやろうよ」「ネガティブな感情を外にぶつけるのはよくないよ」「そんなことより自分の内面を見つめてみようよ」みたいに一気に語りかけてくるんです。だからいつも怒りの感情の扱い方に苦戦していた。もっと深堀りすると、「怒り狂う女=ヒステリック」という、ミソジニストな見方をいつのまにか内在化させてしまっていて、そんな女に見られたくないという恐れも大きかったんだと思う。

アメリカに住み始めて数年経って、何をあんなに、怒りを見せることを恐れていたんだろうと思うようになりました。人間だから生きていて腹が立つこともあるし、役所やホテルで理不尽なことがあって憤慨することもある。でもむっとしたときはむっとした顔のまま話していいし、率直に表現して訴えることで誤解が解けることも多々ある。まあ、そもそも英語にはしっかり怒りを出すための「用語」と「表現」が豊富にある…。

今思うのは、私たち、もっと物分りが悪くていいんじゃないか、恐れず怒っていいんじゃないかということ。怒りを表明したり声をあげることからしか始まらないことがたくさんあるし、また怒りというのは誰かを追いやるためというよりも、自分の尊厳を守るために発露されることがある。もちろん怒りという強い感情を持ち続けるのは疲弊するし、怒ること以上に大事なのは、その偽らざる感情から見えてくる自分が守りたいものの正体に向き合い、それを守るために逃げずに行動することだと思うけれど。

ただ腹がたつのは、知識人といわれる人たちや教養がある人たちが、「批判していても始まらないから、自分のことをしよう」と、巧みに内省の世界にリードしようとすること。ここに私自身の反省も大いに絡んでくるんだけど、もちろん内省も必要だと思う。政府が、社会が、上司が、と周りを見渡して不安になってばかりではなく、この異常な状況下で自分がどうしたいか、どういう生き方がしたいかを考えるということ。

でも、果たしてその内省の円環の中で閉じていて、本当に未来を変えられるのかなと思う。極論だけど、仮に我々が戦時下にいたとして、「国を批判してないで自分を見つめよう」とか「がんばっている政府のみんなに前向きな言葉をかけようよ」とか言われたらと思うとぞっとする。だからやっぱり、民主主義国家に住んでいて私たち一人一人が主権者である限り、自分たちの代表であるはずの権力者を監視して、権力の行使に関して不正があれば声を上げて、自分の「内」を見つめるだけでなく、自分の「外」に明白に存在する枠組みをきちんと学び、向き合って、必要があれば構造を変えていこうとする姿勢を見せていきたいと思う。それは、人を責めるとか責めないとか悲しいとかネガティブだとかの情緒的な話ではなく、民主主義国家の中で生きる大人としての責任の話だと思ったんです。

私の反省は、安倍政権の7年間、もちろん選挙には行っていたが、権力の監視を積極的にしてこなかったし、政治に対しての自分の意見も公の場で言わないようにしてきたこと。政府の予算の使い方や施策をチェックし、他国と比較して検証する、そういう当たり前の主権者としての責任を果たしてこなかった。アメリカに住みながらアメリカのニュースで知る日本は国民を大事にしていないように見えて悲しい気持ちになったけど、こんな政権を長きに渡り継続させてしまったことに大人の一人として責任を感じるから、せめて自分はこれから変わっていきたい。というのが、最近の私です。

お恥ずかしながら基本の基本、「勉強する」ことからやっていきたい。民主主義や参政権、女性の権利などを人類がどう獲得してきたか、その歴史も学び直さないといけないと感じます。そして必要なときは声を上げる、また勇気を出して声を上げた人に恐れず連帯する…ということをやっていきたい。

ああ、もっと怒りに満ちて書き散らかしたかったのに、やはり長年の癖で理性的「風」にコーティングして書いてしまう…。まあこれも自分だと受け入れて、でも今回鮮やかに湧き上がった自分の怒りについてはしっかりと記憶に残して、次の一歩に進んでいきたいと思います。

 

↓自宅隔離中の猫。

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以上、ブログだから当たり前ですが、すべて個人の見解です!